死とは、人間にとって最大のテーマであり亡くなった方に聞くわけにもいかないので自分が死ぬ瞬間までどんなものかわからない。故に死について恐怖を抱き、それを避けようと努力する。また誰にでも訪れるものであり早かれ遅かれ人は死ぬ。死んでも生まれ変われる、怖いのは若いうちだけetc・・・。
いろんな事を言うけれど理屈じゃなく死は怖いと思うのは仕方ない。
ということで体験してみました!
(体験させられました)
今年の4月上旬、泊まりで出かけ温泉を満喫しアルコールも入っていたことから早めに就寝。すると真夜中に急な胸の痛みに襲われ目が覚めた。
胸が苦しいがまあいつものタバコの吸いすぎだろうと思い、お茶を飲みながら胸の痛みがおさまるのを待つ。少しするとおさまるどころか痛みはどんどん増し、しかも呼吸がしにくく過呼吸のような状態になった。
急いで救急車を呼ぶが電話をしながらも手が震えて受話器がまともに持てず、声もうわずってうまくしゃべれない。なんとか最小限のことを伝え受話器を叩きつけるかのように置く。
救急隊員が部屋に来るまでの数分間は胸の痛みと呼吸の苦しさで身悶える。救急隊員が部屋まで到着しても鍵を開けるのに這うのがやっとの状態だった。
担架に乗せられ救急車に運ばれる間、痛さと体の末端を襲う寒さ。これから自分はどうなってしまうのだろう?苦しい!ふと頭によぎるのは「死」であり苦しみと死への恐怖であぶら汗がにじみ出る。救急車の中では脈拍がとられ「60の20」少しすると「50の10」。どんどん脈拍が落ちてくる。
このころになるとだんだん頭はボーっとしてきて痛みも苦しみ和らぎ、体の末端の寒さもわからなくなってきた。まるで徹夜明けに起きていようとしても自然にまぶたが落ちてきてしまう。そんな眠気にも似た感覚に襲われる。周りの人の話し声がだんだん小さくなる。
病院に到着して医師がしゃべりかけてきているが今自分がどこにいるのか?医師が必死に呼びかけている姿はわかるが私には小さな声にしか聞こえない。何を言っているのかもよくわからない?
何かにサインをするように言われてるのがなんとなくわかりサインすると、そのまま手術室に運ばれ心筋梗塞の緊急手術。3時間の手術を終えICUで2日間過ごし一般病棟で2週間。
今回こんな体験をし、いくつかわかったことがある。
病気や怪我をして死に向かっているときは個人差と病状にもよるが苦しい。死ぬ少し前はだんだん感覚がなくなってきて安らか?穏やかな気持ちになり感覚としてはまさに眠るという感じのようだ。
なぜなら私はもう少しで逝っていたからです。
昔読んだ漫画にこんなセリフがあった。
「死は優しいな」
まさにそのとおりだと思った。
また、よく金はあの世へは持っていけないといいますが、金だけでなく地位や名誉や仕事、その他この世で得たものすべてはこの世でのものであり、あの世までしがらみ含めてもっていけないと思うとすべての事が小さな事に思え少しは悩みが減ると思う。
今回は偶然が重なって生き残った。大きな病院が宿から5分だったことと宿直のドクターが専門医であったことで、「あと少し処置が遅ければ死んでました。以後生活に気をつけてください」と釘をさされましたが、死ぬ瞬間を思い返せばあの世のほうが楽なんじゃないかと思う。
そう考えると生き残ったのではなくまだまだ苦労が足りなかったので、もう少し苦労をするために死なせてもらえなかっただけなのかもしれない。
2015.06.08 探偵ウォッチ投稿